本日は、どんなに長い年月が経過してから見直しても「もはや何やっているか解らない状態」とならない研究ノート整理法をご紹介。
先に言っておくと、ここで言う研究ノートとは、単に理論物理や数学の研究などで大量に発生する「使用済み計算用紙の集合体」のことで、いわゆる「実験ノート」とは全く別物である(詳しくはこの記事の最後の追記を参照)。
道具は人それぞれなので二の次かも知れないけど、まずは自分が使っている基本ツールを紹介(研究室のアナログマシンに関しては以前書いたことがある)。一応それぞれの道具のチョイスに自分なりの意味はある。レポートパッド、レポートパッドホルダー、硬筆用下敷き、日付スタンプ、修正テープ、修正ペン、カバーアップテープ、4色ペン、ハサミ、のり。
計算用紙を綴じるのは30穴ファイル(例えば、マルマン ファイルノート セプロクルールA4)。
2穴ではなく30穴なのは、穴への負担が分散して、穴が破損しにくいから。
レポート用紙への穴開けは30穴パンチ(例えば、ライオン事務器No.302N)を使う。初めから穴が空いているルーズリーフの方がいいのかも知れないが、愛用のレポート用紙(後述)より書き心地の良いルーズリーフを知らないので仕方なくという面もある。
ペンは4色+シャープ(例えば、三菱鉛筆 多機能ペン ジェットストリーム 4&1 0.7mm)。計算にシャープペンや万年筆を使う人もいるけど自分はゲルインク・ボールペン派。シャープペンは消しカスが出るのが嫌だし、自分は筆圧が高いから万年筆は合わない。計算では「同類項をまとめる」という行為が頻出するが、そのとき、同類項を同色でマークするという技が使えるので4色ペンを使っている。3色だと少ない気がする。
字を消すときは、修正テープ(Tombow x kaunet 5mm)、修正液(Pentel 極細 修正液 細先端)、カバーアップテープ(ポスト・イット カバーアップテープCV-25N 25mm)の3つを使い分ける。基本は乾くのを待つ必要のない修正テープで、細かいところは修正液。広範囲を消したいときはカバーアップテープ。マニアック!(2022年9月追記:今ではPILOT FRIXION BALLなどの擦れば消えるボールペンも普及しているが、イマイチ信用できずにいる。)
カバーアップテープでも消しきれないほど大量に修正したいとき(例えばページ半分の計算が間違っていることに気付いたとき)は、ハサミとノリを使って、必要な部分だけ切り取って、新たなレポート用紙に貼り付ける。
計算ノートに計算間違いした箇所や、他の変形で参照しない不要な式は残さないのが重要。また、同じ式を2度以上書かない。間違った計算を少しでもノートに残しておくと、見通しが悪くなるだけでなく、計算ノート全体が胡散臭くなるという現象が起こり、見返したとき「何も信じられないから全部やり直したい!」という衝動に駆られる。また、他の変形で参照されていない式を削除することで「このノートには必要なことしか記載されていない」という状態になり、ノートのプレミアム感が高まる(これ結構大事)。
ページのあちこちを修正するときはコピー機でバックアップを取っておく。そうすれば「修正に修正を重ねて訳がわからなくなった」ときにリセットできる。また、コピーは似たような計算を繰り返すときも威力を発揮する。オリジナルのページをコピーして、必要な箇所だけ書き換えれば最小の労力で類似の計算ができる(時間の節約と腱鞘炎の予防)。
さーじぇりー(切り貼り)するとこんな感じ。新たな計算をスタートするときは、どの式とどの式を組み合わせて計算を始めるのかを書く。「*を*へ代入して」「*、*、*、*、*より」とか。
自分が気に入っているレポート用紙はCampusのA罫線の薄口紙(KOKUYO レ-110A)。書き心地が良いのと、紙が薄くて軽いので計算ノートが貯まってきても重くならず携帯がラクだから。硬筆用下敷(クツワ STAD 下敷 A4サイズ 硬筆書写用ソフト VS014)は、普通のプラスチック製の下敷きと違って、ボールペンで書くときに敷いても適度な柔らかさが確保できる。
レポートパッドホルダーはレイメイのZeitVektor(レイメイ藤井 レポートパッド ツァイトベクター 再生皮革 A4 ワイン ZVP653Z)というやつ。ホルダーを使う主な理由は、鞄の中で紙がボロけない、デスクのないところでも計算できる、などである。このホルダーは、予備のレポートパッドを一冊収納できるので、出張先などで計算用紙が不足することの防止にもなる。
計算がある程度貯まってきたら(というか、この計算でひと研究出来そうだと見込めたときや、記録として残すに値すると感じたとき)インデックス(キングジム カラーインデックス5山 No.907)を付ける。その際、一番初めのポーションは文献のコピー(後述)。
全てのページにタイトルと通し番号を付ける。式にも通し番号を付ける。欠番は許すが、番号が前後するのは御法度。前後すると後から探すのが困難になる。レポート用紙の裏は使わない。理由は、裏も使ってしまうと連続した計算をするとき参照しにくくなるのと、切り貼りできなくなるから。
後から式やページを挿入する場合は、番号を小数にして順序を死守(誰でも出来る高等テクニック)。
式変形するときは式変形の根拠になった式の番号を等号の上に書く。これで何年経ってから見直しても「なんでこういう変形できたのだろう?」(計算見直しのアルアルNo.1)がなくなる。
図や文にも番号を付けておくと、図や文を根拠に式変形したときに番号で参照できる。写真ではグラフに「222」という番号を付けている
この写真では「・・・反対称でもない」という文に「207」という番号を付けている。
計算した日付をその日の計算用紙の1ページ目にスタンプする。やらなくてもよいけど記録にはなる(また、見返したとき、おセンチな気分になれる)。
日付は手書きでもいいけど、自分は何となくスタンプ(Xスタンパー回転日付印 欧文日付)を使っている。
文献の中の式を参照したときは、そのページをコピーして一緒にファイルしておく(インデックスの一番目のポーションに文献ごとに纏めて)。文献に名前(アルファベット。例えばBとか。)を付けておき、文献の中の式を式変形の際に参照したら、等号の上にその名前とページ番号を書く。
本をコピーするときは表紙もコピーして一緒にファイルする。これでどの本の中身なのか忘れるという間抜けなことはなくなる。
この写真のように、表紙をコピーする代わりに手書きで著者とタイトルを書いてもいいと思うかもしれないが、全てのページに書くのは非効率なのでやめた方がいい。表紙をコピーして文献ごとにまとめておくのが一番。
検算したらその行にマークを付ける(自分は2本線のチョンチョン)。1回目は黒、2回目は赤、3回目は青といった具合に。でも、このノート整理法を身につけてから計算ミスが激減したので、写真のように3回も検算することは滅多にない。
やってはいけない駄目な事例:式の一部分をペンで囲って、その量を新たな記号で置き換えている。これは見直しを困難にするので、多少面倒でも改行して式の定義を改めて書き下し、ちゃんと番号を付ける方がよい。面倒ならコピーして貼り付ける。
計算の意味・意義などを言葉で解説して補うのも駄目:解説なしでも「式だけ見直せば全てを思い出せるようにノートを作る」という方針を貫く。また、解説は、そのとき重要だと思っても、後から見直すと自明だったり、下らないことだったりしてノートを汚すだけの場合が多い。「真実は全て式に織り込まれている」と心得る。
計算を数学ソフト(MathematicaやMapleなど)で計算・検算した場合は、その旨とファイルを保存してあるならファイル名も記載しておく。
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以上、「弘法筆を選ばず」に逆行する凡庸な物理オジサンの戯言。でも、オジサンは結構これでウマくいっている。
数値コードを書くとき後から見てもわかるように工夫する人は多そうだけど、手計算のノートは「TeXにまとめて計算用紙はポイ」の人が多い印象。Mottainai!!
計算ノートを整理しておくメリットは沢山あるけど、自分は次の利点を感じている。
- ノートを残すという前提で計算することで自然と計算が丁寧になり、計算ミスが減る。
- ノートが構造化されると検算が機械的・確実にでき、計算ミスを高い確率で発見できる。(以前は苦痛だった検算で、今ではある種の快感を得られるようになっている。もはや変態。)
- 計算ミスが減ると「ここまでの計算は正しい」という自信が生まれ、結果として内容に集中できる(と期待している)。
- ある期間その研究から離れていても、順を追って検算するだけでスムーズに研究を再開できる。
ブッ飛んで頭のいい人は頭の中で計算するらしい。以前、ブッ飛んでる人(Kyo大教授)と会話していたら「紙で計算しても、頭で計算した以上の結果を得たことはない。」と言い切っていたので、ノートの整理とか全く無縁なのだろう。でもまぁ、一般人にとっては多分上のようなメリットはある。小生の場合、「仕事が遅い」「執念深い」という二つの特性があるので、一つの研究をダラダラと何年も断続的に続けて、やっと一本の論文を書くことがある。そんなとき(4で書いたように)このノート術は強い威力を発揮する。数学や物理の人は整理整頓に無頓着な人が多いので、全くもって興味が無い人が圧倒的多数だとは思うけど。
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2018年7月31日追記
昨今はiPadなどのタブレットと手書きノートアプリ(Notability,GoodNotesなど)を使って、電子ノートで計算している人も多いよう。そちらへの移行も時間の問題かも。そうすると、上で紹介した全ての道具は不要になり、紹介した全ての技はタブレット上で出来てしまう。電子ノートは慣れが必要だろうし、相性はあると思うが、小生の業界でも手計算は全て電子ノート上で行っている人はいるし、そういう人は今後間違いなく増えていくだろう。ある人(Ngy大教授)は、授業も板書ではなく、Notabilityをスクリーンに映してやっており、学生からの評判も上々と言っていた。(2019年1月14日追記:昨年、iPadを買ってNotabilityを入れたけど、自分にはあまり馴染まないかなぁという印象を得た。字が汚いというのも一因。)
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2019年1月10日追記
ST*P細胞の件以来、「研究不正の防止」と「実験ノートの取り方」などが取り沙汰されるようになったけど、数学や理論物理では研究不正というのは原理的に有り得ないところがある。だから、不正防止のためにノートを残すというのは誰もやっていないはずで、上で紹介した研究ノート整理術も研究をスムーズに進めるための単なるTips以上のものではない。
理論(実験・観測や大規模な数値計算を伴わないという程度の意味)の論文は大体、出発点になる仮定を書き下し、それを式変形して何か結論(仮定から導かれる必要条件または必要十分条件)を得る体裁を取る。だから、常に客観性が保たれたまま論理が展開され、ブラックボックスになるところがないので不正のしようがない。
もちろん、間違った仮定を採用したり、式変形を間違ったりすることは有り得るが、それは不正ではなくミスの類いであり、ちゃんと読めば(読めれば)誰もが発見できるという意味で、それら自体が攻められるべきものではない。ミスを連発した研究者は「学界で相手にされなくなる」という致命的とも言える自然な制裁を受けるので、社会的制裁など必要ない(と個人的には思う)。
そういう意味では、理論の論文で「途中計算を端折らずに書く」というのは「見た目がゴツくなり読者が減る」「あまり細かく書くとアホっぽい」といったデメリットもあるが、ミスがあれば誰もが短期間で発見できるというメリットもあり、それなりに重要である(と個人的には思う)。レターや大御所の論文ではメチャクチャ難しい式変形が「After long but straightforward calculations, we obtain....」などと端折られるが。
理論研究でも大規模数値計算を伴うものは別物という気がする。基礎方程式やスキーム、初期条件、境界条件、パラメータの値などを書き下すぐらいはするけど、数値計算のコードを論文に書き下すことはできないし、使ったコードが秘伝のもので公開できない場合も多々ある。そうなると、必然的にブラックボックスができるので、原理的には捏造はできる。
でも、数値計算で結果を捏造したというのもあまり聞いたことがない(自分が知らないだけかも)し、結果が面白ければ面白いほど、再現しようとする人が増えるので、バレるのも時間の問題だから誰もやらないのだと思う。まぁ、この点は実験・観測でも同じはずだから、どんな分野でも不正が起こるというのは至極理解し難い現象なのであるが、就職や昇進の為に一時的に人を欺ければよいという発想なら有り得なくもない。