2013年8月26日月曜日

コンプレート・ニエブラ・ピスコサワー

トマト,玉葱,アボガド,ソーセージが入ったコンプレート(complete(完結した)のスペイン語)と呼ばれるチリのファストフード.写真のはバーで注文したものなので,比較的ちゃんとしたやつ.

日曜の午後,バルディビア川が太平洋に流れ着く町ニエブラへ行ってきた.研究所から乗り合いタクシーで10分くらい.スペイン軍と戦ったときの大砲が残っている.




バルディビアは1960年のチリ地震で大津波に襲われた.その津波は地球の裏側にも届き,日本でも142名の死者・行方不明者がでた.









ペルーのお酒ピスコサワー(左)とセビーチェ(右).このセビーチェはサーモンではなく白身魚のもの.酒の弱い私はこの後エラいことに・・・.

2013年8月24日土曜日

高級ホテル,カルデージョ・デ・コングリオ

バルディビア川沿いにある高級ホテル

船着き場(デッキ)があり,そこからの眺めが素晴らしい

ランチは地元民しか行かない超ローカル食堂を目指して研究所から歩いたが,閉まっており断念.その近くにあるスイス系レストランに入る.スイス系と言っても出てくる料理は基本的にはチリ料理のよう.これはコングリオと呼ばれる穴子のような魚をジャガイモ,ニンジン,香草などと煮たスープ料理,カルデージョ・デ・コングリオ

チーズとポテトの何か(左)と牛肉ステーキ(右).上のカルデージョ・デ・コングリオ,このステーキ,デザートで5000ペソ(約1000円)くらい.

クーラント・お金持ちスポット・去れ!

朝霧のバルディビア川.見かけない大きな船が停泊していた

ランチに食べたサーモンのセビーチェ

貝,ソーセージ,肉などを煮た料理,クーラント.手前のコンソメスープに付けて食べる

食べ過ぎたので食後の散歩.バルディビア川には無数の中州があるが,橋を渡ってやってきたのは巨大な中州であり,高級住宅街でもある場所

歩み入るにつれ,家のお洒落度と高級感が増していく






この通りが中州の端にあり,眺めの美しさと地価のピーク


窓を大きくして光を取り入れると同時に,家の中を外に見せるのがお金持ちの家の特徴のよう.中が丸見え




橋を渡って研究所へ戻る.カップルが橋に南京錠を付けるのが流行のよう

橋の上から見た川の上流方面


市場の調理場にまで入り込んできたアザラシ.市場の人が「サレ!」と叫ぶ.偶然にもスペイン語の「サレ(SALIR)」は「あっちへ行け」という意味だそう

2013年8月21日水曜日

鳥・エンパナーダ・コルタド

研究所を南東から再び

バルディビア川近くの木に留まって一日中鳴いている黒い鳥


昼食をとりにレストランに入ったら,通りを水兵さん達が行進していった


中身を選べるんので,アワビ(手前)と海老(奥)のを頼んだ

夕方,カフェに行った.CORTADO(「層状に切られた」といった意味)と呼ばれるミルク入りコーヒー

2013年8月19日月曜日

教会・研究所・理論物理学者像


街の中心部にある古い教会

教会敷地の外壁




新しく大きな教会.日曜なので沢山の人が吸い込まれていった

北東から見た研究所.四半チューブ状の施設はアウトリーチ用だそう

南東から見た研究所.古いホテルの佇まい

研究所には理論物理学(主に量子力学)の要人の写真が飾ってある.これはバイクに乗るボーア.初め見たときは,チェ・ゲバラとボーアの合成写真家かと思ってしまった.ボーアはサッカーのデンマーク代表(確かキーパー補欠)でもあったとか.

リフシッツとランダウ.ランダウは哲学者のヴィトゲンシュタインに少し似てる気がする.二人(正確にはもう一人ピタエフスキーも)による物理学全般に関する不朽の名著「ランダウ・リフシッツの理論物理学教程シリーズ」はランダウとの議論を通して大部分をリフシッツが執筆したと聞いたことがある.

ディラック

フェルミ,ハイゼンベルグ,パウリ.パウリは実験が苦手で,彼が近くにいると実験装置が壊れる「パウリ効果」と呼ばれる現象が起こるという逸話も残されている.

ファインマン

アインシュタイン.彼は,机の上が整理されている人は頭の中も整理されているが,机の上に何もない人は頭の中も空である,と考えていたらしい.

シュレーディンガー.彼の名を冠した方程式は量子力学の基礎方程式だが,彼自身はその解釈に関して,現在標準的となっている確率解釈(通称,コペンハーゲン解釈)に反対していた.彼が確率解釈の理不尽さを露呈させるために考えついた思考実験「シュレディンガーの猫」はあまりにも有名.彼が体調を崩して入院したとき,ボーアは枕元で確率解釈を受け入れるよう彼を説得したそう.

ハイゼンベルグ.行列力学,不確定性関係の提唱者.行列力学は,ある意味で量子的世界の描像・解釈を得ることに見切りを付け,観測される量の関係だけに着目し,客観的に微視的世界を記述しようとした理論.心理学の先生と話していたとき,心理学にもそのような考え方(心的状態を無視する行動心理学)があり,一時期業界を席巻していたと聞いて妙に納得した記憶がある.