「大人になったら、得意分野を伸ばすことに注力し、弱点を克服することにエネルギーを注ぐべきではない。」といった言葉をよく聞く(確か、ドラッカーも言っていた)。確かに一理ある。人生は有限である。何かを極めるには、弱点などに目もくれず、一極集中の人生を生きた方が良いのかも知れないし、その方が絵になる。
しかし、凡庸な自分は何か弱点を克服するのがハッキリ言って好きである。学問でもそれ以外でも。
- 今まで全く興味が湧かなかった事柄に、人が変わったように興味が湧くというあの感覚。
- よく聞くけど意味を知らなかった数々の単語を使ってストーリーを語れるあの感覚。
などは、なかなか得難いものだと思っている。
自分は2浪してやっと大学に入ったので、周囲の人々の(学問的な意味での)優秀さには半端ではないコンプレックスを持っていた(今でもその名残はある)が、それ以外にも5つのコンプレックスを持っていた。
- 読書習慣がない。
- パソコンが使えない。
- 運転免許を持ってない。
- 英語が話せない。
- 音符が読めない。
どれ一つとっても、それ自体は大した技能ではないが、本人にしてみれば結構真剣な悩みであった。しかも、可能なら本分の物理や数学を四六時中勉強していたい自分にとっては、これらのコンプレックスを克服することは結構な手間と感じた。結局、5以外は克服して、今となってはそれなりに身についているわけであるが、マイナスからスタートして、中の上、もしくは、上の下あたりにポジションを取れるのはなかなか快感ではある。
学問で言えば、確率や統計がそうであった。小学校時代から算数が苦手であった小生は、数学が苦手なまま大学受験期を迎え、九九の復習から始め、徐々に数学を克服した(それは今も続いている)のであるが、結局大学入学まで確率・統計は克服できなかった。大学に入っても、確率・統計は殆ど勉強しなかったので、現在の職場に移ってから必要に迫られて一から勉強した。長い研究生活で、数式をいじり倒してきたので、流石に教科書レベルのことはスラスラ理解できたが、学生時代に全く理解できなかった苦手な分野を(さぞかし昔から知っていたような顔をして)教えるという他ではなかなか味わえない体験をしている。
と言うわけで、基本的には不得意な分野を克服するのが好きなのであるが、興味のない分野を引っぱり出してきて、片っ端から勉強するほど暇ではないし、物好きでもない。例えば、(恥ずかしながら)自分は、政治・経済・歴史のことを全く知らないし、興味もない。でも、そういう分野に関しては放っておいて、興味が湧くイベントが起こらなければ、縁がなかったと思って一生不得意なままでよいと思っている。他にも、そう思っている分野は沢山ある。
どうして、こんな話をしているかと言えば、(自分でも信じられないが、)人生で初めて「金融」や「経済」というものに興味を持ち始めたかも知れないという感覚が芽生えつつあるからである。今の自分を語る上で、幼少の頃からお金に興味がなかったという点はプラスに働いていたと思ってはいる(そうでなければこんな職業には就いていない)が、このままではイカンという気が最近してきた。自分でも信じがたいが、一丁ここいらで克服しようかという気が起きてきたのである。
切っ掛けは、
古本屋で100円で買った株の本である。株式投資って面白そうだけど怖いから、もし始めるなら最低でも10冊くらい本を読んでからにしようと思ったのである。今のところ、2、3冊読んだだけだけど、人間の営みの圧倒的多数の中心にはお金があり、経済こそが世界を動かしているという(普通の人にとっては当たり前の事なのかも知れない)ことに今更ながら気づき、目から鱗が落ちた感覚に包まれている今日この頃である。
金融・経済の話なんかブログで語らずに、一人で隠れてやれば良いのに記事にした理由は、今日の午前中に読んだ細野真宏の株の本があまりにも秀逸で、その感動を残したかったからである。高校3年の時に出会った彼の数学の本が救世主になってくれた体験とデジャブった。彼は、「面白いほどよくわかる」とか「世界一わかりやすい」とか、自著に大げさなタイトルを付けるが、高度な内容を扱いつつも「これを読んで解らない人は何を読んでも解らないだろう」という気にさせるものばかりである。最近、数学のテキストを執筆しようか悩んでいるのであるが、書くならこういうのを書きたいという意欲と、自分には、ここまで解りやすさと深さを兼ね備えたものが書けるはずがないという失望を行き来している。