2022年3月24日木曜日

近況

 相変わらず本の執筆をしている.5月末までに脱稿すれば秋には刷れるというので頑張っている.一通り書いたので初めから推敲している最中.初めの方はまだ執筆の方針とかが定まっていなかった時期に書いたものなので直すのに手間がかかる.30節あるうちのまだ5節しか終わっていないけど,今後は加速することを期待.5月末までにこのような推敲を3回くらい回したい.

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ロ○アのウ○ライナ侵攻が始まって今日で1ヶ月.ロ○アが化学・生物○器の配備を始めたとの情報もある.プー○ンは戦術○の使用はOKと考えている人物だと聞いたことがある.世界大○ってこうやって始まるんだ,と感心している場合ではないのだが,この感覚はパンデミックが始まったときに似ている.どちらも映画の中の出来事だと思っていた節がある.ロ○アとア○リカのチキンレースに付き合わされる世界.「チキンレースはハンドルを捨てた方が勝ち」という恐ろしい原則が国際政治の教科書には書いてあるらしい.目に見えないウィルスやヤキの回ったジジイに翻弄される人類.生命は絶妙なバランスの上に存続していたという事実を痛感させられる日々.

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筋トレを始めたのが2019年の春だった気がする.大体3年経った.欠かさず続けられているのは《朝飯にオートミールを食べる》《朝にプロテインを飲む》《風呂前に15分くらい筋トレする》《一日に水を2Lくらい飲む》ことぐらい.年がら年中引いていた風邪を3年間一度も引いていない.鼻水一滴さえ出ない.不思議だ.あと,子供の頃から皮膚が弱くてトラブルが一年中ついて回っていたけど全部消えた.嘘のよう.正直言うと,筋トレ・オートミール・プロテイン・水の全てを殆ど同時に始めたから,どれが効いているのか分からない.「カードは一枚ずつ切って,身体の反応を見てから次のカードを切るのが身体づくりの基本」と言われているが正にその通り.あらゆることを同時に始めてしまうと,どれが身体に良いのか分からないのでどれも辞められない.

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筋トレを始めても治らなかった皮膚トラブルが一つだけあって,それは指先が痒くなってくるやつ.病名を忘れてしまったけど,痒くなり始めて放置しておくと皮膚の奥底に水泡ができて,ステロイド入り軟膏を塗ると治る,というもの.でもそれが最近あることを始めたら発症しなくなった.それはズバリ「爪を伸ばすこと」.自分は子供の頃に爪を噛む癖があって,そのせいか爪が短くて,伸びてくると気持ち悪くなって直ぐに短く切る習慣があった.でも,爪の形が不格好なので伸ばしてみようと暫く気持ち悪いのを我慢して伸ばしてみた.そして,伸びたら爪切りでなくヤスリで削るようにしてみた.長くても気にならなくなってきたころ,その皮膚病が数か月発症していないことに気付いた.深爪と皮膚病に相関があることに全く納得いっていないが,とりあえず治ったので爪は少し長めに保とうと思う.

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来年度からの科*費が当たったのはよいのだが,研究費が枯渇するのを恐れて,今年度最後の科*費課題を一年延長しておいたのでお金が結構ある.さらに,念のため学内の競争的研究費にも申請してあって,それが当たったとすると結構バブリーな状況になってしまう.海外に行きまくればよいのだけれどコロナも燻っているし結構使い切るのに苦労するかもしれない.特に学内研究費は単年で繰り越せないし.

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未熟なので隣の芝が青く見えてしまうことが多々ある.でも前よりは自分や他人を順位付けするのではなく多様性としてそのまま受け入れられるようになってきた気がする.少し正確に言うと,人の位置を「スペクトル」で考えるようになった.例えば,数学寄りの研究ばかりしているとコテコテの物理の研究に引け目を感じてしまう自分がいた.でも,世の中にはエクストリーム数学とエクストリーム物理を両端とする見えない座標軸みたいなものがあって,その合間を様々な研究者が連続的に埋め尽くしていて(スペクトルというのはこのような意味),自分もその何処かに存在する.ある波長aにいる人が違う波長bにいる人の真似をしようとしても真似できないし,波長bの人は逆に波長aにいる人を羨ましく思っていたりする.だから,どちらが優れているかとかなくて,自分がいる位置を嘆いたりするのに意味はない,という考え(諦め?悟り?).そう考えると急に楽になって,こう考えればすべての悩みから解放されるのではないかとさえ思った.

  • 数学と物理のスペクトル
  • 古典と量子のスペクトル
  • 研究と教育のスペクトル
  • 仕事と遊びのスペクトル
  • 勤勉と怠惰のスペクトル
  • 財力と幸福のスペクトル
  • 健康と病気のスペクトル
  • 家族と孤独のスペクトル
  • 外見と内面のスペクトル
  • 都心と田舎のスペクトル
  • 若さと老いのスペクトル
  • 戦争と平和のスペクトル
  • ・・・
自分がスペクトルの何処にいようと,他人が何処にいようとよいではないか.多様性(diversity)を受け入れるということはこういことなのかも知れない.思慮深い人には当たり前のことなのだろうけど,最近になって気付いた.(追記:こうして文章にすると,人生に絶望したオッサンが怪しいスピリチュアル思想に傾倒しているようにしか見えない.)
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自分の後輩は博士をとってからリーマンになって今はメガバンクに勤めているのだが,在野で研究を続けており,ちょくちょく連絡をとってくる.あの控えめな性格の裏のどこにそんなバイタリティが隠されているのか全く不可解な男だが,正直感心する.これも多様性か.