2017年2月11日土曜日

【大事な考え】

昔から大切にしている考えや、最近になって大事だと思うようになってきた考えを書いてみる。自戒の意味も込めて。
  • 「何かを成し遂げるために費やした労力・時間と、それがもたらす成果・報酬は非線形である(比例関係にない)。」
    この考え方は、何かを勉強し始めたけど、その成果がまだ現れない学生を励ます言葉だと思っていた。でも最近は、この言葉は何かを始めるには遅いと思っている中年や年寄りを励ます言葉と感じるようになってきた。

    人は知らず知らずのうちに努力と成果がおおよそ比例するとして、人生設計していないか。

    例えば、5年頑張って貯金すれば500万円貯金できるから、10年頑張れば1000万円貯金できるだろう、といった具合に。また、同程度の学力の学生が2人いて、片方は1日試験勉強して30点だったから、もう片方は2日試験勉強すれば60点取れる、といった具合に。

    でも、これらは明らかに間違いだ。努力・時間と成果は比例しない。一つ目の例では、複利の非線形性(指数的増加)を無視しているし、二つ目の例では知識が有機的につながった時の効果が無視されている。

    何かを成し遂げようと行動した途端、行動と成果はすぐさま非線形領域に入り、本人さえも予測不可能な進化を遂げ大変革も起こり得る。

    この考えを忘れなければ、俺の人生は後**年位だろうから、これから努力しても精々**くらいの成果しか出ないだろうといった、浅はかで馬鹿げた考えはしなくなるはずだ。もっと大胆な夢を見られるようになる。時間はいくらでも伸び縮みするのだ。
  • 「同じものを得るのに何倍も努力できる人が本物になる。」
    再びテストの例でいえば、10時間勉強して80点の人と100時間勉強して80点の人がいたとする。最小の努力で如何に点数を稼ぐかというゲームなら、前者の勝ちだろう。

    でも、後者が身に着けた知識・能力は前者のそれの10倍位あるかもしれない。しかも、このような物事への取り組み方が今後一生続くとなると、上で述べた非線形性が効いてきて、二人の間には埋めがたい天文学的な差がつくと予想される。

    努力して努力して、思ったほど成果が現れなくても、気にしなくてよいのである。逆に、大して努力しなくても上手くいってしまっているときは、注意が必要だと思う。
  • 「嫉妬を追い払う最善の方法は、より大きな目標を立てること。」
    余程できた人間でない限り、隣の芝生は青く見えるものだし、嫉妬もする。

    でも、よくよく考えてみると誰かが得た栄誉・富を嫉妬するときは、決まってその栄誉・富が自分に舞い降りても不思議はない程度の現実味があるときである。普通の人がノーベル賞を獲った人や金メダリストに嫉妬することはない。だから、嫉妬したときは、自分にもそのチャンスがある証拠だと思うことである。

    そして、更に重要なことは、その栄誉・富よりも高い目標を立てることである。そうすることで、「そんなことで喜んでいるんじゃ君もマダマダだね。俺は***しちゃうもんね。」という決して人には言えないが、なんとも不思議な力が湧いてくるものである。
  • 「勉強で最も大切なのはスピードである。」
    これは純粋に勉強や知識を身に着けるときの話。世の中には、いくら勉強しても知識が身につかない人がいる。また、一時的には身についても、すぐに忘れてしまう人もいる。こういう人を沢山知っている。

    では何が問題なのか。それは、スピードだと思う。何かを理解したり、脳に定着させたりするには絶対的に時間が必要である。勉強ができない人や知識が身につかない人は、この自然の理を無視して早く勉強を終わらせようと必死なのだと思う。

    例えば数学の問題が解けない。答えを見ても意味が分からないからやめてしまう。勉強を効率よく進めたいというのは怠慢である。時間をかけて分解すれば、数学なんて高々足し算と引き算の組み合わせなのである。だから、焦らずわかるところまで遡って、ひとつひとつ理解を積み重ねれば「絶対に」わかるのである。

    また、英単語の暗記でもいい。ある一つの単語を覚えるのに、その単語と日本語訳をカードに書いて何度も見返す人がいる。でも、そんなことを何回繰り返したところで語彙力はつかない。その単語を含む例文・熟語・類義語、その単語が名詞ならば、対応する動詞・形容詞・副詞などを調べていくうちに有機的な知のネットワークができる。そして、そういう作業を終えるころには、初めの単語は、もう「過去のもの」となって、自分の脳の中に確固たる地位を築いているのである。その時点で、この英単語の「暗記」が終了する。こうして覚えた英単語は、何十年経とうと忘れることはない。

    因みに、昔「(受験)数学は暗記だ」と大学受験界のカリスマ和田*樹が言ったかと思えば、「数学は暗記ではない」と長髪の数学者秋*仁が反論する論争があった。でも、数学にしろ何にしろ「理解して、記憶する(覚えてしまうくらい慣れる)」というのは勉強の中で欠かせない一連の作業である。だから、それを「暗記する」と呼ぶか否かが問題であって、「数学は暗記か否か」という問題は大した意味をなさない(と個人的には思っている)。

    とにかく、アリストテレスが言ったように困難を分割し、脳に定着するまで先に進まないという決心をした者に、克服できない分野は存在しない。
  • 「読書することは他人の頭を借りて考えることである。」
    読書は楽しく、そこから得られるものはあまりにも多い。だからこそ、ショーペンハウエルは読書は他人の頭を借りて考えるという行為だから、読書ばかりして思索をしない人間は怠けた思考の癖がつく、と警告している。

    これは、上で述べた「同じものを得るのに何倍も努力できる人が本物になる。」にも関係してくる。というのも、我々凡人が思いつくアイデアなど、どこかの本に書いてあるのだ。しかし、自分が苦労の果てに辿り着いたアイデアと本で読んだアイデアは、見た目が同じでも全くの別物である。情報を遮断し思索することが絶対に必要である。
  • 「信念はたとえそれが間違っていても、信じることに意味がある。」
    信じる者は救われる、とはよく言ったものである。たとえその信念が間違っていても、それを信じることが救いとなり大きな力を生み出すことがある。その信念が間違いだと気付いたとき、それを受け入れる勇気を持っていさえすればよい。

    例えば、「一流大学に入らなければ幸せにはなれない」と信じている青年がいたとしよう。その信念に基づいて彼は猛勉強して一流大学に入り、その後も努力を積み重ね充実した幸せな人生を送った。一般常識から言えば、「一流大学に入らなければ幸せにはなれない」という信念は正しくない。しかし、彼は一時的にでもそれを信じることによって力を得た。

    科学には「作業仮説」という概念がある。正しいことが完全には証明されていない事でも、それを正しいと仮定して研究を進め、後にその仮説の正しさを検証しましょうという考えである。それに似ている。

    何かを信じなければ始まらないのである。これは人生の岐路に立たされたとき有用である。生きていると、どちらの道を選ぶのが正しいのか、どちらの道を選ぶのが「お得」なのか、見通せないときがある。もちろん、そんなときは勉強して必死で考えるわけだけど、結論が出ないこともある。そんなときは、思い切ってどちらかの道が正しいという仮説を立てる。一度正しいと仮定したら迷ってはいけない。信念にまで格上げして、突き進むべきである。何故なら、「信じる者は救われる」からである。
  • 「どんな悪にも徳はある。」
    これはフランスの哲学者アランの言葉である。彼は『幸福論』で、不幸にならないためには行動することが重要であると説いている。

    例えば、自国で戦争が始まれば、若者は自分の元にいつ赤紙が届いて徴兵されるか怯えるだろう。しかしアランは言う「死ぬ直前まで怯えるな。さっさと戦地へ向かえ」と。戦場へ行かなければ戦争が終わりでもしない限り、「戦場へ送られたら、敵の砲弾でぶっ飛ばされるかもしれない・・・」といった想像上の恐怖が際限なく続く。しかし、実際に戦場へ行ってしまえば、死への恐怖などというものは途端にどこかへ消え失せるのだと言う(アランは志願兵として実際に戦地に行っている)。戦場へ行けば、足が冷たい、腹が減った、眠い、といった「実際上の問題(悪)」が精神を支配し、死への恐怖などを蹴散らしてくれるそうだ。アランはこのことを「どんな悪にも徳はある。」と表現している。

    もっと身近な例で考えてみた。ある男性は薄毛がコンプレックスで、そのことばかり気にしている。他人から見たら、薄毛なんかより簡単に直せて、そこを直した方がよほどいい所(性格、歯並び、口臭、etc)が沢山あるにも関わらずである。でも、人間には自暴自棄にならなずに自覚し、背負っていける短所・欠点には限界があると思う。だから、彼が薄毛を気にすることによって、他の自分の短所に気付かずにいられるのはまさに、「どんな悪にも徳はある。」の例なのだと思う。
  • 「貧乏はハシカと同じである。どうせするなら、若いうちの方がよい。貧乏な家に生まれたことに感謝せよ。」
    貧しい家に生まれたが東大教授となり、後に投資で巨万の富を築いた本多静六の言葉である。

    一生お金に困らないでいられるならそれでよいかも知れないが、子供の頃金持ちで、そのせいでお金に関して何も学ばずに育ち、大人になってから貧乏になるのは惨めである。どうせ貧乏するなら、若いうちに貧乏して、その経験からお金の尊さやお金に関する正しい考えを学び、後に金持ちになる方が幸せだろう。

    他にも、お金にまつわる格言やことわざなどを調べてみたが、沢山面白い言葉があった。

    「お金は寂しがり屋だから、あるところに集まる」
    「お金は元来働き者だが、働き方を教えなければ(貯金ばかりしているようでは)何もしてくれない。」
    「金儲けの上手い人間は、全財産を失っても自分自身という財産を持っている。(アラン)」
    「ポツポツ落ちてくる水の下にコップを置いて水を貯めるとき、貧乏人は半分貯まったら飲んでしまう。お金持ちは、いっぱいになっても飲まない。いっぱいになって、縁から垂れてくるのを舐めて我慢する。(『マルサの女』の山崎努)」
    など。機会があったら別途紹介したい。